おりづるタワーに登って、広島がもっと好きになった話
2016年9月にオープンしたおりづるタワー。
一度行ってみたいなぁと、気になってはいたけれど、なかなかタイミングが合わなかった。
たまたま広島に帰省したとき、近くまで行ったけれど、その日は運悪く休館日。
そんなこともあって、なんとなく後回しになってしまっていた。
でも、広島にUターンすることが決まって、ようやく行くことができたのだ。
最上階の展望台が、13階ということで、正直「そんなに高くないな」と思いながら登った。
展望台としては、物足りない高さかもしれない。
でも、登ってみて、その気持ちはすぐに消えた。
目の前に広がる広島の景色は、私が見たことがないものだった。
おりづるタワーの周りは、高い建物があまりないので、13階でもかなり遠くまで見渡すことができる。
眼下に広がる平和公園は、私にとって見慣れた景色だったはずなのに、初めて見るような新鮮さがあった。
思わず「すごい」と声が漏れて、自分でもちょっと驚いたのです。
平和公園は、私は毎年のように訪れてきた場所だ。
でも、おりづるタワーの展望台「ひろしまの丘」から見ると、その公園は、まったく違って見えた。
すぐそばを走る路面電車、平和公園を行き交う人々。
お散歩する人、自転車で駆け抜ける人。
たくさんの人の暮らしが、すぐそこに見える。
私は「景色を見ていた」というより、「まちを見ていた」そんな時間を過ごしていたのです。
そんなふうに鳥の視点でまちを眺めていたら、ふっと、このまちがすきだなぁと、思いました。
原爆のことは、過去の惨事として、現在とは切り離されていたり、県外では「広島・長崎で起こった特別なこと」として、遠いもののように語られることが多い。
話すことも聞くことも、どこか重くて慎重で、静かに距離を置かれている。
でも、この街では、過去と現在はちゃんとつながっていて、その記憶は、日常に静かに溶け込んでいる。
他の地域にとって、平和記念公園は、原爆の象徴かもしれない。
でも、ここで生きる人たちにとっては、平和と復興の象徴なのだ。
だから、名前も「原爆公園」ではなく、「平和記念公園」。
「原爆資料館」ではなく、「平和記念資料館」。
この展望台から見た広島の街は、私が「こうだったらいいなぁ」と思う平和の象徴みたいな街だった。
ふと、原爆の話を聞かせてくれた祖父母のことを思い出した。
多くは語らなかったけど、目に涙を浮かべながら、戦争の話をしてくれたことがありました。
その時、子どもながらに「戦争だけはしてはいけない」と感じたのを覚えている。
あの時、たくさんの悲しみに押しつぶされそうになりながらも、
強く生きていくしかなかった人たちが、今の広島をつくっている。
その思いは、今もこの街のどこかで静かに受け継がれていて、
広島を大切に育てている人たちが、確かにこの街に存在している。
それは、この街を流れる川の流れのように。
ゆっくりで、強くて、そしていつも隣にある。
そう思うと、少し涙が出てきたのでありました。