平和記念公園には何がある?見どころ紹介と丸わかりマップ

平和記念公園には、原爆ドームや資料館のほかにも、多くの慰霊碑やモニュメント、被爆前の暮らしを伝える遺構が点在しています。
しかし、たくさんの見どころがあるからこそ、結局どんな場所なのか分からないと感じる方も多いのではないでしょうか?
この記事では、平和記念公園に何があり、どんな意味を持つのか、丸わかりマップとともに紹介します。

平和記念公園には何がある?丸わかりマップ

慰霊碑・遺構・モニュメントを分類した平和記念公園の丸わかりマップ
平和記念公園は、広島市中心部の川に囲まれた中州にある公園です。
原爆が投下された広島の中心部にあり、かつて人々が暮らしていた街の跡地につくられました。
平和記念公園には、亡くなった人の霊を慰める慰霊碑や、被爆前の暮らしの記憶を残す遺構や説明板、平和への祈りが込められたモニュメント、核兵器の恐ろしさを伝える資料館などがあります。

平和記念公園の見どころ

平和記念公園内にある見どころを紹介します。
気になる場所をタップすると、詳しい説明へ進めます。

原爆ドーム

1915年生まれ(旧広島県産業奨励館)

1945年8月6日の原子爆弾により、爆風と熱線で大きく損傷したが、爆心地に極めて近かったため爆風がほぼ真上から働き、建物中央部だけが奇跡的に倒壊を免れた。
広島市議会が保存を決定し、国内外130万人以上から寄付が集まった。
1996年、原子爆弾の惨禍を伝える歴史の証人として、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして世界遺産に登録。

平和記念資料館

1955年生まれ

原子爆弾による被爆の実相を伝え、広島の被爆前後の歩みや、核時代の状況を展示する資料館。
もの言わぬ証人として後世に伝えるため、市民の協力によって多くの被災資料が集められた。
2019年に大規模リニューアルを実施。
本館は、戦後建築として初めて国の重要文化財に指定されている。

原爆死没者慰霊碑

1952年生まれ

碑の中央には石室があり、原子爆弾による死没者の名簿が納められている。
ここに眠る人の霊を雨露から守りたいという思いから、埴輪の家型にデザインされた。
碑文には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。
犠牲者を特定の国や民族のものではなく、人類全体の平和の礎として祀るべき存在という考えが、多くの市民の共感を集めた。

レストハウス

1929年生まれ

もともと大正屋呉服店として建てられた鉄筋コンクリート造の建物。
1945年8月6日の原子爆弾により屋根は大破、内部も破壊炎上したが、戦後に改修され、現在は平和記念公園の主要スポットとなっている。
1階は広島の特産品やお土産が販売されており、2階は休憩スペース、3階はこの施設のある旧中島地区の歴史や人々の営みをパネルで紹介している。
また、地下一階は、原爆投下時にこの施設の地下室でたった1人生き残った故・野村英三さんの被爆体験記が展示されている。

原爆の子の像

1958年生まれ

被爆から約10年後、原爆症で亡くなった佐々木禎子さんの死をきっかけに、「原爆で亡くなった子どもたちを慰めたい」という運動が始まり、全国からの募金で完成した像。
禎子さんは闘病中「鶴を千羽折れば幸せが来る」と信じ、ベッドで折り鶴を作り続けた。
彼女の折り鶴はやがて平和の象徴として世界に広まり、今も国内外から多くの折り鶴がこの場所に捧げられている。

平和の灯

1964年生まれ

「核兵器が地上から姿を消す日まで火を燃やし続けよう」という全国民の平和の象徴。
台座は両手を広げた形を抽象化したもの。
点火には、国内35の神社・寺院・教会の炎と、全国の工業地帯から届けられた火が使われた。
平和記念公園の歴史と込められた思い、主要モニュメントの見どころと誕生年をまとめた図解。
参考:
広島平和文化センター(1978)『ヒロシマ読本』
広島市公式ウェブサイト

まとめ

平和記念公園には何があり、どんな見どころがあるのか、マップとともに紹介しました。
平和記念公園に訪れた際には、ぜひ気になる場所に足を運んでみてください。

今回紹介した見どころのおすすめの回り方については、以下の記事で紹介しています。
どんな順番でどこを回ればいいか迷っているという方はぜひこちらも参考にしてみてください。
しゅんぎく
広島がもっと好きになるきっかけを、そっと置いています。
えきもほてお編集長|HIT AWARD 2022 エキスパート賞 受賞